2007年07月27日

名鉄百貨店2

名鉄で観光もだいぶ進んできましたね!!
今回は名鉄の百貨店についてです!!

本館、名鉄バスターミナルビル(メンズ館)、ヤング館と3館体制を敷いている。また名鉄バスターミナルビル内には名古屋鉄道本社、名鉄グランドホテル、名鉄バスセンター、名鉄東宝などの施設が存在する。 2006年度に大規模な3館一体化リニューアルをされているが、同時に本館以外の名称も変更となった。また、2005年には地下食料品売り場の改装にあわせて、これまで駅施設と商業施設が混在していたのを分離・集約した。

本館・・・地上10階地下2階建て。10階に劇場「名鉄ホール」。地下部に名鉄名古屋駅。1階北側コンコースには名古屋で一番当たりが出るといわれる、名古屋市で一番有名な宝くじ売り場(通称名鉄チャンスセンター)もある。また、地下1階において2002年4月1日から閉鎖されていたメルサ改札口は2005年9月27日に地下食料品売り場のリニューアルと同時に新南改札口として再開された。これは百貨店から直接豊橋方面のホームへ行ける入場専用改札口となっている。
メンズ館・・・地上18階地下1階建て。3階・4階に日本初の本格的な立体型バスターミナル名鉄バスセンター。7階〜10階は名古屋鉄道本社および関連企業のオフィス棟。11階以上は名鉄グランドホテルとなっている。6階には映画館の名鉄東宝があったが、2006年2月24日に閉館した。2006年10月25日にメルサ館から名前が変更され、館内がリニューアルされた。
元々はパルコより古いファッションビルMELSA(名鉄エレガンスレディースショッピングアベニュー)という名称の別会社だった。
ヤング館・・・地上11階地下1階建て。1階に三井住友銀行名古屋駅前支店でその関連会社大手町建物が不動産を所有。7階〜11階は名鉄スカイパーキング。屋上はテニスラウンジがある。2006年9月6日にセブン館から名前が変更され、館内がリニューアルされた。





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E9%89%84%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97引用

名鉄観光
タグ:名鉄 百貨店
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2007年07月21日

名鉄バス

名鉄観光
続名鉄バス編
名鉄のサービスを考えながら
名鉄のサービス状況すごい!!
名鉄使って観光するのにすばらしい路線の使いやすさ!!
サービス充実

都市間高速バス
名古屋・豊田線(名鉄バスセンター・栄−豊田市・五ヶ丘ニュータウン)
名古屋・桃花台線 (名鉄バスセンター・栄−小牧・桃花台ニュータウン。土日は一部明治村まで延長)
名古屋・多治見線(名鉄バスセンター・栄−皐ヶ丘・桂ヶ丘 共同運行:東濃鉄道)
名古屋・西可児線(名鉄バスセンター・栄−リトルワールド・愛岐ヶ丘口・四季の丘 共同運行:東濃鉄道)
名古屋・高針線(名鉄バスセンター・栄−牧の原・極楽・香久山・南高上・愛知学院大学    愛知学院特急系統 名鉄バスセンター−極楽・竹の山南・愛知学院大学)
関・美濃線(名鉄バスセンター・栄−関・美濃 共同運行:岐阜バス)
高速長島温泉線(名鉄バスセンター−なばなの里・長島スポーツランド・長島温泉 共同運行:三重交通)
(注)国道23号線経由の名古屋長島温泉線は三重交通の単独運行

[編集] 夜行高速バス
さぬきエクスプレス名古屋(名鉄バスセンター−高松駅・丸亀駅 共同運行:四国高速バス)※昼行便あり
どんたく号(名鉄バスセンター−小倉駅・博多駅・西鉄天神バスセンター 共同運行:西日本鉄道)
青葉号(名鉄バスセンター−仙台 共同運行:宮城交通)
中央道高速バス(名鉄バスセンター−新宿高速バスターミナル)(名古屋−新宿 共同運行:京王バス東)※昼行便あり
中央道高速バス(名鉄バスセンター−新潟万代シティバスセンター 共同運行:新潟交通)

[編集] 中部国際空港アクセスバス
藤が丘・空港線(中部国際空港−東名日進−藤が丘)
豊田・空港線(中部国際空港−トヨタ本社前−豊田市 中部国際空港−トヨタ元町工場前−豊田市)
岡崎・空港線(中部国際空港−東岡崎駅・岡崎駅)



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄バス
タグ:名鉄 バス
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名鉄バス

名鉄観光シリーズ
続名鉄バス編!!
名鉄バスのサービスを考えつつ頑張ります!!
名鉄バスの運行状況すごいですね・・・・

昼行高速バス
中央道高速バス(名鉄バスセンター−新宿高速バスターミナル)(名古屋−新宿 共同運行:京王バス東)※夜行便あり
中央道高速バス(名鉄バスセンター・栄−昼神温泉・飯田 共同運行:信南交通)
中央道高速バス(名鉄バスセンター・栄−伊那・駒ヶ根・箕輪 共同運行:信南交通・伊那バス)
中央道高速バス(名鉄バスセンター−松本 共同運行:松本電気鉄道)
中央道高速バス(名鉄バスセンター−長野 共同運行:川中島バス)
中央道高速バス(名鉄バスセンター−新潟万代シティバスセンター 共同運行:新潟交通)
北陸道特急バス(名鉄バスセンター・名古屋駅−福井 共同運行:福井鉄道・京福バス・JR東海バス)
北陸道特急バス(名鉄バスセンター・名古屋駅−金沢 共同運行:JR東海バス・西日本JRバス・北陸鉄道)
東海北陸道高速バス(名鉄バスセンター−富山 共同運行:富山地方鉄道)
ひだ高山号(名鉄バスセンター・名古屋駅−高山(濃飛バスセンター)・新穂高温泉 共同運行:JR東海バス・濃飛バス)
名古屋−徳島線(季節運行)(名鉄バスセンター・栄−東浦・洲本・志知・鳴門・松茂・徳島駅)(共同運行:徳島バス)
リゾートエクスプレス(季節運行)(名鉄バスセンター・星ヶ丘−富士急ハイランド・河口湖駅・富士吉田駅 共同運行:富士急山梨バス)
さぬきエクスプレス名古屋(名鉄バスセンター−高松駅・丸亀駅 共同運行:四国高速バス)※夜行便あり
名古屋−奈良線(名鉄バスセンター−大和高原山添−大和高原都祁−天理(櫟本)−JR奈良駅−近鉄奈良駅 共同運行:奈良交通)




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄バス
タグ:名鉄 バス
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名鉄バス

名鉄観光シリーズの
続名鉄バスやります!!
名鉄バスは奥が・・・・
名鉄バスのサービスすばらし〜

名鉄バス株式会社(めいてつばす、Meitetsu Bus Co., Ltd.)とは、2004年5月11日(営業開始は同年10月1日)に名古屋鉄道自動車事業本部から分社化されたバス会社である。本社・本店は名古屋市中村区名駅の名鉄バスターミナルビル内にある。名鉄バスのターミナルとして、名鉄名古屋駅隣接の名鉄バスセンターが有名である。なお、バス部門分社化に際して岐阜営業所(高富)は岐阜乗合自動車(岐阜バス)へ移管された。また、最近ではイオンから各ショッピングセンターへの無料シャトルバスの運行も受託している。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄バス
タグ:名鉄 バス
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2007年07月20日

名鉄電車

名鉄観光プロジェクト
名鉄電車編7500系は今回で終了です〜
名鉄電車編よろしく!!

特徴
制御方式は複巻整流子電動機を用いた他励界磁制御である。これは複巻電動機の分巻界磁を制御する電源にMG(電動発電機)を利用するもので、これにより回生ブレーキだけでなく一定の速度を保つ定速度制御による運転も可能とした。主制御器は主電動機と同じく東洋電機製、制御電源となる電動発電機が日立製という、当時の名鉄の高性能車では珍しい取り合わせである。最弱め界磁率は6%とされている(1030系に流用後は10%)。このように、当時としては先進的な足回り装備を施したが、他車との併結はこの制御装置のために行うことができなかった。後に制御回路の磁気増幅器をトランジスタ回路に置き換え、定速度制御機構を撤去するなど制御装置の更新を行ったが、基本構造には手を加えられなかったため、車両運用上では最後まで異端車として扱われ、7000系の項で述べた「P6」(他車とは連結しない)運用で使用されていた。制御装置更新の際、マスコンもそれまでの50km/h〜110km/h・5km/h刻みの定速ノッチから、一般的な4ノッチに変更している。ちなみに、7500系の機器を流用した1030系・1230系・1850系は、弱め界磁率やマスコンの更なる変更などによって他系列との総括制御が可能となっており、これの一派である1380系と7000系の連結運転も行われたことがある。

なお、7500系の中の異端車としては、運転台を装備しながら普段は中間車として使用された先頭車モ7566・モ7665が挙げられる。これは踏切事故など万一先頭車が使用不能となった場合に代用するためのものであった。本来の目的で使用されることはなかったが、重整備工事(体質改善工事)を行なっている間は頻繁に先頭に出て活躍していた。7300系や3780系を低運転台にしたような切妻型の前頭形状であった。

車体は7000系をそのまま16cm低くした形だが、ホームの建築限界に抵触しないように裾の絞りがやや大きく、扉下ステップの張出しも無かった。また、車体のみの長さを先頭車19.05m、中間車18.1mとし、連結部の隙間は73cmとなった。低床構造のためコンパクトに造られた床下機器は、現在でも1030系・1230系・1850系で観察することができる。

登場後しばらくは回生ブレーキに対応した変電所システムが本線系統だけであったため、一時的な運用変更で西尾線に入った際に、回生電力が影響して変電所の回転変流機(交流-直流変換機)の回転数が異常に上昇し、遮断機(ブレーカー)が動作して停電になったという逸話が残っている。


[編集] 廃車の経緯
当初は登場後20年以上を経過した車両から順次車体外板の張り替えなど重整備(特別整備)工事を施行し、1次車・2次車のうち42両が竣工していたが、1992年(平成4年)以降はラッシュ時にダイヤを乱す元凶である2扉クロスシート車の延命措置がすべて中止された。このため、主に3次車以降の車両から成る7515〜7523編成の5編成30両は廃車の方針が取られ、その機器を利用して「一部指定(現特別車)編成」と同様の車体を新製し1030系・1230系・1850系に生まれ変わった。また、床面が他車(1,100〜1,150mm)よりもかなり低い990mmのため、駅のバリアフリー化(プラットホームを嵩上げし順次1,070mmに統一する計画)を妨げるとの事情もあって2004年度に再び廃車処分が開始され、かつ空港線への乗り入れにも対応しないまま2005年(平成17年)8月までに残る7編成(7501〜7513編成)もすべて廃車された。

なお、重整備工事施行車は、側面行先表示器が正面の行先表示の電動幕への改造とともに取り付けられた。7500系よりも前に重整備工事を受けた7000系には取り付けられなかったため、7000系と見分けるポイントの一つとなっていた。客室化粧板も5700系と同じものになるなど、高性能ぶりに見合った更新内容であった。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄電車
タグ:電車 名鉄
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名鉄電車

名鉄観光プロジェクト
名鉄電車編7500系に突入です!!
名鉄電車もだいぶ分かってきた

7500系パノラマカーの1つである。

1963年(昭和38年)、7000系の前面展望をベースに走行性能を大幅に改良して登場した。7000系は先頭車の展望部の床面が少し低くなっているが、7500系では重心を下げるため、車両全体を低床化したことにより、フラット化した。運転台高さは7000系と同一としたため、外観上運転台部分が7000系より突出した感じとなっている。また、パンタグラフは高さを稼ぐため、高めの台座の上に設定されているのが7000系と異なる。1970年(昭和45年)をもって増備が終了し、製造両数は72両にとどまったが、それでも当時の名鉄では7000系に次ぐ勢力であった。

主電動機出力75kW、営業最高速度110km/hという数値こそ従来のSR車と同じであるが、定格回転数2,400rpmの複巻電動機を使用して許容最高速度までの広範囲で弱め界磁制御を行う。当時の資料によれば設計最高速度は180km/hとされており、実際に170km/hで試験運転したことがある[要出典](注:「170km/hでの試験運転は計画のみで行われなかった」との意見もある)。また、95km/hの定速度運転や1ユニットカットの4M2Tで走っても本線特急で定時運行ができたという逸話もある。なお、減速比は4.93で7000系よりも僅かに大きいが、高回転型モーターのため全界磁定格速度は77km/hと約10km/hも高い。

登場時は廃車時と同様の6両であったが、すぐに性能面の余裕を利用して付随車サ7570形(後の8両化の際に電装されモ7570形となる)を含んだ7両編成で一時期運行されていた。また、登場当時は将来的に130km/h運転の構想もあったが、重軌条化やPC枕木化などの路盤整備が追い付かず、営業運転速度の120km/hへの引き上げは1000系「パノラマSuper」登場以降となり、110km/hを超える営業運転は実現しなかった(機器流用の1030系で実現)。なお、現在の120km/h運転では合成制輪子を装着し、ブレーキ性能を増強する改造が他車には施工されたが、7000系や7500系などは遂に未施工のままであった(7000系は合成制輪子化のみ施工済み)。

7500系は元々鋳鉄制輪子の使用を前提としたシステムで増圧ブレーキを備え、性能としては120km/h運転でも法令に定められた「最高速度から600m以内の制動距離」をクリアしていたが、加速に時間(距離)をとられてダイヤ上の時間短縮効果がわずかにとどまる点、当時の名鉄は踏切事故が多かったため、速度向上に比例して事故のリスク(被害の規模)が大きくなる点などがネックとなり、120km/h運転の実現には至らなかった。





wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄電車
タグ:名鉄 電車
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名鉄電車

名鉄観光プロジェクト
名鉄電車編 第3回です!!
名鉄電車編も今回で7000系終了


その他
15年間にも亘って製造され、さらに特別整備や特急専用化改装を受けた車両もあるため、台車、冷房装置、側窓支持方式、前頭表示板、座席などの変化の組み合わせにより、実にバラエティに富んでいる。外観で最も変化の分かり易い冷房装置は、1次車・2次車が5500系の量産版である分散型、3次車〜6次車が能力は同じでポンプレス型と呼ばれるタイプ、7次車〜9次車は集約分散型として台数を半減した。ブレーキの制輪子は7次車からレジンシューに変更され、従前車も特別整備の際などにレジン化されたが、中には比較的後年まで鋳鉄シューのまま残った編成もあった(7027編成など)。

元来は特急用であった7000系だが、増備につれて通勤列車に充当される機会が増えたため、4次車(モ7025〜7028)からロングシート部分に吊革が設置された。さらに1973年暮のオイルショック以後ラッシュの混雑が激化したため、2つドア車とロングシート3つドア車とで比較実験が行われた。パノラマカーでのラッシュ対策車として、1975年に生まれたモ7050形7100番台車では、ドアが両開きとなり、ドア付近のクロスシート4脚分をロングシートに変更した。シートピッチも840mmに詰められている。しかし、実験の結果、3つドア車とでは、ラッシュ時の収容力や乗降時間の短さは比べ物にならず、以後、7100番台車に準じた両開き2つドア・転換クロスシートの5700系・5300系(1986年)を唯一の例外として、一般車は3つドア車の時代へと入って行く。後に1984年、先の7100番台車のうちの2両が先頭車に改造されて、7100系となった。なお、モ7050形7100番台車の転換クロスシートは、前年にAL車・HL車の扉付近から撤去された流用品で、肘掛けの形状など5500系のものとほぼ同型である。

1990年に7700系の中間車を編入して以来、6両編成の中でも、自動解結装置・電気連結器の有無によって連結運転が可能な車両と不可能な車両があり、内部的には前者(モ7750形組込み)を「SR6」(5700系6両編成と共通)、後者(モ7050形7100番台組込み)を「P6」と呼んで明確に区別していたが、2006年(平成18年)以降は連結運用が消滅したため、両者は共通運用となった(「P・NSR」運用)。なお、4両編成はすべて連結運転が可能で「P4」と略称される。

本形式を含めた5200系から7700系、8800系(登場時)までの名鉄の2扉オールM高性能車は、豊橋方の電動発電機・空気圧縮機搭載車と岐阜方のパンタグラフ・主制御器搭載車の2両で1ユニットを組み、車番の末尾を前者は奇数、後者は偶数としている。従って、編成を特定する場合は必ず奇数の車番で表すことになる。


[編集] 廃車
1984年と1987年に8800系(パノラマDX)に主要機器を譲るために中間車8両が廃車された。なお、冷房装置は瀬戸線の6600系に転用されている。1998年(平成10年)からは編成単位での廃車も始まり、現在までに38両が廃車になっている。今後、現在在籍している車両も新形式車両による置き換えによって2009年(平成21年)までに全廃となる予定である。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄電車
タグ:電車 名鉄
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名鉄電車

名鉄観光プロジェクト
名鉄電車編です!!
今回で第3回
名鉄電車7000系

警笛
警笛においては、通常の空気式に加えて、その補助としてトランジスタ式の電気警笛(今で言う電子警笛)を装備している。3音階で作られた音楽を奏でるミュージックホーン(音楽ホーン)と、3音階同時吹奏による電気笛(電笛)である。この音楽ホーンは営業初日まで車両開発の関係部署以外、役員にさえその存在を知らせない徹底した極秘プロジェクトとして企画され、発車式に初めて音楽ホーンが披露された。なお、空気笛も音が最後で切れる独特のタイプとなっている。

ミュージックホーンは、7000系の後継特急車となる1000系や1600系は基より、中部国際空港の連絡特急用として2004年に新製された2000系などにも受け継がれ、名鉄特急には欠くべからざる存在として鉄道ファンや利用者からも親しまれている。


[編集] 車体塗色
鮮やかなスカーレット一色の塗装は、画家杉本健吉の進言によるとされる。第一案では濃緑、第二案でスカーレットが示された。当時では7000系のみが身に纏っていたスカーレット塗装も、昭和50年代以降は新製車両をはじめ、既存の車両もその強烈な個性にあやかるかのように、順次スカーレット一色へと塗り替えられていき、現在の「赤い電車=名鉄」とのイメージが定着するきっかけとなった。 なお、1994年頃より、従来よりも明るいスカーレットに変更されている。 前面の排障器とスカートの塗色は登場以来白であったが、これも2000年頃以降、6500系初期車の前面上部と同じグレーに変更されている。


[編集] フロントアイ
前頭部中央に斜め下を向いて設置され、一見するとスポットライトのようだが、これは発車時に車両直前の安全確認を徹底させるための装置で、フロントアイと呼ばれている。広角凸レンズを用いて運転席から車両直前の死角が見えるようになっている。当時、特に支線では停止位置の直前が構内踏切という箇所が多かったための安全対策である。3次車から採用され、後に従前車にも設置された。ちなみに、運転席からフロントアイを覗くと天地が逆さに見える。


[編集] 旋回式前照灯
上下に4灯ある前照灯のうち、油圧式ダンパと一体になった窓下の2灯は、列車後尾となった時は赤色のフィルターを掛けて尾灯となる。さらにこの2灯は、運転障害で不時停止した際などに、前照灯・尾灯いずれの状態でも光源を旋回させることによって、他の列車に緊急事態を知らせる機能をもっている。


[編集] 空気バネ台車
名鉄で初めて空気バネ台車を本格的に採用した。当時はまだ珍しかった車体直結式(ダイレクトマウント)空気バネで、1・2次車がベローズ式、3〜7次車はダイヤフラム式となった他、後に2次車の一部がダイヤフラム式に改造された。なお、7500系の台車は当初からダイヤフラム式であった。以上は軸箱支持がペデスタル式であるが、7000系の8・9次車のみは台車形式自体が先に7700系で採用されたS型ミンデン式に変更されている。後年、8800系に流用されたのはこのS型ミンデン台車である。


[編集] 連続固定窓
前面のみならず、側面もパノラマカーの名に相応しく、日本板硝子の協力を得て開発された最大180cm×85cmのガラス構成による連続固定窓である。当初は複層ガラスで金属支持であったが、7次車から合わせガラスのHゴム支持に変更した。後に6次車以前も全て合わせガラスに交換し、特別整備を受けた車両はHゴム支持化も行われている。この窓の形状はキハ8000系を始めとして6000系初期車や5300系・5700系、また1枚窓ではあるが100系・200系にも採用され、室内の横引きカーテンとともに、通勤車に至るまでパノラマカーのイメージが受け継がれている。また、名鉄特急=連続窓という伝統は1000系・1200系において一旦途切れたが、1600系や2000系では間柱部分の処理など従前と異なる形状で復活した。





wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄電車
タグ:電車 名鉄
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名鉄電車

名鉄観光プロジェクト
ただいま名鉄電車編です!!
名鉄観光・名鉄旅行の計画
名鉄電車 第2回


[編集] 特徴
この車両の特徴は、運転室を前面上部に上げ、通常の鉄道車両で乗務員室が位置する部分に低床の展望室を配置したことである。万一の衝突から展望室の乗客を守るため、強力な油圧式ダンパを標識灯横に設置している。1961年(昭和36年)に7004号が木曽川堤駅隣の踏切でダンプカーを跳ね飛ばしたということから、これをもって「ダンプキラー」と呼ぶ鉄道ファンも居る。なお、製造にあたって運転室への出入りは車内からではなく、旅客ドアと展望窓の間に設置されたハシゴを登って出入りできるようになっている。

この構造は、名鉄幹部がイタリアへ行った際、当時の特急「セッテベロ」号に強い印象を受けたのが始まりといわれる。この車両の図面は1954年(昭和29年)頃からあった。しかし、固定ガラス張りとなる展望室内には温度調節を行うシステム(冷暖房)が不可欠だが、当時はこれを搭載できる見通しが立たなかった。その後、5500系製造時に他の機器を可能な限り小型としてスペースを生み出し、車両冷房を実現した。これによって展望室付きの車両も製造可能となった。なお、展望室部分だけは屋上に冷房装置を搭載できないため、室内最前席の前に床置式冷房装置を設置した。

展望室構造のため、先頭車の車体長は中間車よりも1m長い19mとし、車体断面は国鉄151系電車のように窓部を内傾させ窓下の裾を絞った形状とした。但し車体幅(外板間)は2,730mmで裾の絞りは緩く、屋根高さは5500系と同じ3,500mmであり、以後の名鉄車両ではこの車体断面形状が多少の寸法変更を伴いながらも3500系まで適用されている。先述のように、展望室部分は床面高さが他の1,150mmに対して1,040mmの低床構造となっている。また、高所にある運転台とは別個に、車掌台・車掌扉を先頭車の後位車端に設けた。ここには補助席が設置されており、車掌台として使用しない時は着席することができる。

この前面展望式の構造は、後の小田急電鉄ロマンスカー3100形「NSE」をはじめ、国鉄時代の165系改造車「パノラマエクスプレスアルプス」(2003年より富士急行2000形「フジサン特急」)などにも受け継がれた。同車は大好評を博し、最高速度110km/hで三河・濃尾平野を快走する姿は全国の鉄道ファンを魅了したものである。また、当時の資料によれば、設計最高速度は140km/h、モーターの許容回転数では150km/hに達し、これは7500系を除いた5000系から7700系、さらに8800系(登場時)、5300系までの全電動車系列に共通である。

制御方式は直巻整流子電動機を用いた「抵抗制御方式」で、出力75kW(340V・246A・2,000rpm)のモーターを4基ずつ搭載する全車電動車方式である。弱め界磁率は30%まで可能だったが、5000系・5200系(50%)との兼ね合いから40%で使用してきた(40%界磁でも定格速度は110km/h)。減速比は4.875である。
5000系・5200系と併結運転が可能であるが、主制御器は5500系と同じ東芝MC11型「パッケージ制御器」で、マスコンは直列指定段と並列指定段を持つものである。主制御器が強制通風式の主抵抗器と一体でしかもコンパクトな構造のため、5000系・5200系と異なり直並列自動切替機能は無く、直列指定段で起動して高速運転に持って行く際は、一旦オフ位置に戻して並列指定段回路に入れ直し、その後弱め界磁制御を行う。直列指定段で起動した場合も直列の最終段から弱め界磁制御を行うことができ、電力事情の悪かった支線や、豊橋駅付近の飯田線との共用区間でも変電所への負荷を抑え、また電動機の高速特性からHL車以上の高速運転を行うことができた。なお、並列段全界磁でもAL車並みの高速性を備えている。現在は、電圧降下が著しい場合や低速運転時を除き、最初から並列(および並列弱め界磁)指定段に投入して起動することになっている。ちなみにこの制御器の方式は小田急3000形(初代)・3100形の東芝MCM型と同様である。制御段数は力行が弱め界磁起動+抵抗制御16段(3次車以降13段)・弱め界磁4段、発電ブレーキが弱め界磁+20段(3次車以降17段)となっている。

登場の翌1962年には2次車(7007編成〜)が加わって計7編成となり、本線急行の他、犬山線にも進出している。1963年(昭和38年)からは、名古屋本線用には改良版の7500系を製造し、順次6〜8両編成として投入されたが、支線でも広がるパノラマカー人気に対応するため、1967年(昭和42年)に4両編成が登場した(3次車:7015編成〜、冷房装置などを変更)。1968年(昭和43年)には一部の車両が8両固定編成を組んでいたが、短期間で解消し、以後は従前車も4両編成に組成変更して増備されていった。そのため、1969年(昭和44年)製の5次車(7029・7031編成)は4両フル編成だが、その前後の4次車と6次車は先頭車のみの製造である。1971年(昭和46年)登場の7次車(7039編成〜)も4両編成で、冷房装置が再度変更されている。1973年(昭和48年)から4両編成の大部分を連結化改造し、本形式の4+4=8両編成はもとより他形式との連結運転も可能になり、同年暮の第1次オイルショックに伴う輸送需要増にも対応することができた。1974年(昭和49年)増備の8次車2本(7045・7047編成)は久々の6両編成となり、先頭車の最終タイプを含む。非連結化4両編成も1975年(昭和50年)に最終増備車の両開き扉中間車(9次車、モ7050形7100番台)を組み込み、6両編成となっている。結果的に7000系として製造されたのは116両である。

全車が健在の時期には6両編成10本(60両)と4両編成14本(56両)という陣容であった。

1982年(昭和57年)4両編成の一部が白帯を巻いて特急専用車化(同時に行先表示板を逆さ富士形から楯形に変更)され、翌1983年(昭和58年)から1987年(昭和62年)まで1〜3次車のうち42両について特別整備が行われたが、延べ15本(4両に短縮した編成あり)に施工された特急専用車装備に関しては現在解除されている。特別整備未施工の車両は1984年(昭和59年)から廃車が発生し、2007年(平成19年)現在、最盛期の約3分の2にまで減少した。現存する7000系のほとんどは、製造年次の異なる車両や7700系の中間車が混在した編成となっている他、6両編成の前頭表示が電照幕式に統一された。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄電車
タグ:電車 名鉄
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名鉄電車

名鉄観光プロジェクト

今回は7000系の名鉄電車について勉強しましょう!!
名鉄バスも奥が深かったですが、名鉄電車もなかなか
名鉄観光プロジェクト
名鉄電車編第1回

パノラマカーのひとつ、7000系(2006年9月15日、有松〜左京山間にて撮影)

白帯が施された7000系特急仕様車(1996年1月2日、東岡崎駅にて撮影)

元特急仕様車(2006年12月23日、神宮前駅にて撮影)1961年(昭和36年)に日本車輌製造で製造され、名古屋本線の特急に投入された。

名鉄の主な路線がある愛知県はトヨタ自動車のお膝元であり、当時芽生え始めていたモータリゼーションへの対策として、乗客にインパクトを与えられる車両の製作を企画していた。

1960年(昭和35年)8月に名鉄でデザインされたスケッチが新聞に発表されたが、いざクレイモデル(=粘土で作られた模型)を作成してみたところ、名鉄内で否定的な意見が出され、日本車輌製造へ再デザインを依頼、同社は民間工業デザイナーの萩原政男に依頼し、現在のスタイルとなった。ちなみに、名鉄が発表したスケッチには既に展望室があったが、ボンネット部分がかなり前に突き出た格好であった。

車体色は、過去に例を見ないインパクトあるスカーレットレッドを用い、今なお衰えない奇抜なデザインの6両固定編成として登場した。なお、将来の10連化を見越して製造されている。

当初、車両最前部には不死鳥の"Phoenix"名を刻んだエンブレムが取り付けられていたが、1年ほどで「逆さ富士」型の行先表示板が設置されたため、撤去された。

1961年(昭和36年)に刊行された鉄道雑誌『鉄道ファン』の創刊号の表紙を飾っている。

7000系製造の際、車両開発部は当時の副社長から「ブルーリボン賞を取れなかったら車両開発部・部長以下全員クビだ」と言われていた。まさに社運を賭けた車両だったのである。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄電車
タグ:電車 名鉄
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2007年07月19日

名鉄バス

名鉄バスシリーズもそろそろ終了です!!
最後に名鉄バスを楽しんでくださいwww

[編集] 過去に運行されていた主な長距離路線
東名急行バス 渋谷駅 行
錦江湾号 鹿児島 行(名古屋鉄道・鹿児島交通・南国交通・林田産業交通)
げんかい号 北九州・久留米・大牟田・荒尾 行(名古屋鉄道・西日本鉄道)
ファンタジア号 三次・広島バスセンター 行(名古屋鉄道・広島電鉄)
中央道高速バス 岡谷・上諏訪・茅野 行(名古屋鉄道・諏訪バス)
シルクロマン号 奈良シルクロード博会場 行(名古屋鉄道・JR東海バス・三重交通・奈良交通)
花ずきんちゃん号 大阪花博会場 行
花博ライナー 浜名湖花博会場 行(名古屋鉄道・名鉄東部観光バス)
愛・地球博直行シャトルバス(エキスポライナー) 長久手会場東ゲート 行(名鉄バス・名古屋観光日急)
名金急行線「五箇山号」 金沢駅 行(一般道経由、名古屋鉄道)
高速名古屋・小牧線 栄経由 小牧駅 行




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄バス
タグ:名鉄 バス
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名鉄バス

名鉄観光・名鉄旅行プロジェクトです!!
名鉄バスシリーズも第3弾です!!
名鉄バスなかなか楽しいですねwww

[編集] 中・長距離昼行路線
3階1番乗り場
名古屋伊賀上野線 伊賀上野(上野産業会館) 行(三重交通)
南紀特急バス 尾鷲市・熊野市・新宮市経由 南紀勝浦温泉 行(三交南紀交通)
3階5番乗り場
中央道高速バス 飯田 行(名鉄バス・信南交通、一部昼神温泉経由)
中央道高速バス 中津川・駒ヶ根・伊那市経由 箕輪 行(名鉄バス・伊那バス)
中央道高速バス(中央高速バス) 新宿高速バスターミナル 行(名鉄バス・京王バス東)※夜行便あり
リゾートエクスプレス(季節運行) 富士急ハイランド・河口湖駅・富士吉田駅 行(名鉄バス・富士急山梨バス)
3階6番乗り場
北陸道特急バス 福井駅 行(名鉄バス・福井鉄道・京福バス・JR東海バス)
北陸道特急バス 金沢駅 行(名鉄バス・JR東海バス・西日本JRバス・北陸鉄道)
名古屋新潟線 新潟駅・万代シテイバスセンター 行(名鉄バス・新潟交通) ※夜行便あり
東海北陸道高速バス 富山駅 行(名鉄バス・富山地方鉄道)
3階7番乗り場
中央道高速バス 松本バスターミナル 行(名鉄バス・松本電気鉄道)
名古屋長野線 長野駅経由 善光寺大門 行(名鉄バス・川中島バス)
ひだ高山号 高山駅前・新穂高温泉 行(名鉄バス・JR東海バス・濃飛バス)
名古屋郡上八幡線 八幡営業所 行(岐阜バスコミュニティ八幡)
名古屋白川郷線(冬季運休) 白川郷・鳩谷 行(岐阜バスコミュニティ八幡)
名古屋徳島線(季節運行) 徳島駅 行(名鉄バス・徳島バス) ※夜行便あり
さぬきエクスプレス名古屋号 高松駅・丸亀バスターミナル 行(名鉄バス・四国高速バス) ※夜行便あり
3階8番乗り場
名神ハイウェイバス 京都駅・神戸(三宮バスターミナル・ポートピアホテル) 行(名古屋観光日急・JR東海バス・名阪近鉄バス・西日本JRバス)
名古屋なんば・USJ線 なんばOCAT経由ユニバーサル・スタジオ・ジャパン 行 (名古屋観光日急) ※季節運行の夜行便あり
名古屋奈良線 奈良駅行 (名鉄バス・奈良交通)



  注意 名神ハイウェイバス大阪駅行きは名古屋ターミナルビル1階発着 名鉄バスセンターは経由しない


[編集] 夜行便
3階5番乗り場
青葉号 仙台駅 行(名鉄バス・宮城交通)
ドラゴンライナー 高知駅・一宮(いっく)高知営業所 行(高知県交通・土佐電気鉄道、一宮高知営業所は高知県交通の営業所)
どんたく号 北九州(小倉駅前・黒崎インター引野口)・福岡(博多駅・西鉄天神バスセンター) 行(名鉄バス・西日本鉄道)
不知火号 熊本交通センター 行(名古屋観光日急・九州産業交通)
3階6番乗り場
名古屋新潟線 新潟駅・万代シテイバスセンター 行(名鉄バス・新潟交通) ※昼行便あり
3階7番乗り場
ぶんご号 宇佐・中津・別府北浜経由 大分トキハ前 行(大分バス・大分交通・亀の井バス)
グラバー号 長崎新地ターミナル 行(名古屋観光日急・長崎バス)
コーラルエクスプレス号 武雄温泉駅・佐世保駅前経由 ハウステンボス 行(西肥自動車)
名古屋徳島線(季節運行) 徳島駅 行(名鉄バス・徳島バス) ※昼行便あり
さぬきエクスプレス名古屋号 高松駅・丸亀バスターミナル 行(名鉄バス・四国高速バス) ※昼行便あり
中央道高速バス 新宿高速バスターミナル 行(名鉄バス・京王バス東)※昼行便あり
名古屋・大宮線 所沢駅・大宮駅西口 行(名古屋観光日急・西武バス)



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄バス
タグ:名鉄 バス
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名鉄バス

名鉄観光・名鉄旅行プロジェクトもだいぶ進んだな〜
小休止の名鉄バスシリーズ第二段

[編集] 一般路線バス
名鉄バス

3階4番乗り場
基幹バス本地ヶ原線 栄・引山経由 三軒家・藤が丘・長久手車庫・本地・尾張瀬戸駅前・菱野団地・尾張旭向ヶ丘 行
3階3番乗り場
名古屋・津島線 安松経由 津島・大坪 行
岩塚線  岩塚経由 津島・大坪 行
三重交通(3階2番のりば)

名古屋桑名線(50系統) 国道1号線・下之一色経由 かの里富田病院前・桑名駅前 行
名古屋長島温泉線(60・61系統) 名四国道(国道23号)経由 サンビーチ日光川・長島温泉・南桑名 行

[編集] 高速バス

[編集] 近距離昼行路線
名鉄バス

4階4番乗り場
高速名古屋・高針線 愛知学院大学前 行(香久山経由および極楽東経由)
高速名古屋・豊田線 豊田市駅・五ヶ丘ニュータウン 行
4階3番乗り場
高速名古屋・桃花台線 小牧駅経由 桃花台ニュータウン(桃花台東)・明治村 行
高速名古屋・多治見線 中央道桃花台・桜ヶ丘・皐ヶ丘経由 桂ヶ丘三丁目 行(東濃鉄道と共同運行)
関・美濃線 せき東山・美濃市役所前経由 美濃市駅行(岐阜バスと共同運行)
4階2番乗り場
名古屋・長島温泉線 なばなの里・長島温泉 行(三重交通と共同運行)
三重交通(3階1番乗り場。ただし、東名阪経由長島温泉行きは4階2番のりば)

名古屋大山田団地線 筒尾九丁目・陽だまりの丘(郵政研修所)・希望ヶ丘・桑名駅前 行
名古屋ネオポリス線 西桑名ネオポリス 行
名古屋桜台線 桜台 行
名古屋三重団地線 三重団地 行
名古屋湯の山線 湯の山温泉 行
八風バス(3階1番乗り場)

赤尾台・名古屋高速線 赤尾台・正和台 行
東濃鉄道(東鉄バス)(4階3番乗り場)

可児市役所・名古屋線 可児市役所・可児車庫 行



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄バス
タグ:名鉄 バス
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名鉄バス

名鉄観光・名鉄旅行プロジェクトも小休止で
名鉄の関連に
しばらくは名鉄バスを
では名鉄バスシリーズ!!

名鉄バスセンター(めいてつバスセンター)とは、愛知県名古屋市中村区名駅にある名鉄バスのバスターミナルである。名鉄名古屋駅や近鉄名古屋駅に隣接する。JR名古屋駅広小路口側にも出入口がある。名鉄バスが管理しており、一般路線及び高速バスが乗り入れる、名古屋地区最大のバスターミナルである。1967年開業。

名鉄バスターミナルビルの3階と4階にあり、3階には主に一般路線と長距離高速バスが、4階には主に近距離高速バスと臨時運行バスが発着する。地上からは3階まで直結のエスカレーターが設けられている。各バスのりばにはホームドアが設けられており、普通乗車券については、運転士が改札する場合がある。

同ターミナルビルは、専門店街の名鉄百貨店メンズ館や、名鉄グランドホテル、名古屋鉄道および名鉄バスの本社も所在している。

名鉄バスや名鉄グループの路線に加え、近鉄グループの三重交通も名古屋のターミナルとして使用している。

なお、ターミナル内の天井にアスベストが吹き付けられており、全国的にアスベストによる被害が問題となったことから、除去工事に着手することになり、2005年12月19日より3階のりばを閉鎖、名神ハイウェイバスは1階の近鉄名古屋駅ビルとの間の道に移動、その他のバスは4階に統合された(3階発の路線は4階の同番号のりばから、4階発の高速路線は降車場側に新設した9〜11番のりばから発車)。2006年9月2日に3階について除去を終えた後、引き続き4階について工事を開始(階が移動するだけで、バス停の配置はそのまま)、2007年1月15日に完了、新装オープンとなった。

この一連の工事により、バリアフリー対応(エレベーター増設・スロープの設置、音声・文字案内放送設備、ホームドア設置など)のバスターミナルとなった。


wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄バス


タグ:名鉄 バス
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2007年07月18日

名鉄観光

名鉄観光・名鉄旅行プロジェクトもだいぶ進行してきましたね〜
名鉄は最高ですよね・・・・
その名鉄利用して観光や旅行〜
では
名鉄観光・名鉄旅行の第7弾
[編集] オイルショック後(高度経済成長期終焉後)
1974年(昭和49年)9月 都市間連絡(特急)主体から急行を復活させるなど、都市圏輸送に改める白紙ダイヤ改正を実施。
1975年(昭和50年)8月24日 中央自動車道・中津川〜駒ヶ根間開通を機に、一般道経由で運行していた「名飯急行バス」を高速経由に改めた「中央道特急バス(現・中央道高速バス)」として開業。直営では初の高速バス路線(事業)となる。
1976年(昭和51年)12月 名鉄初の本格的な3扉通勤車6000系登場。第1次オイルショック後に急増した通勤客輸送で威力を発揮し、名鉄における「通勤車」の地位を確立。
1977年(昭和52年)3月 ダイヤ改正。座席指定特急のみを「特急」とし、料金不要の特急を「高速急行(高速)」に種別変更。
1979年(昭和54年)7月 豊田線が開通、名古屋市営地下鉄鶴舞線との間で名鉄初の都市型相互直通運転を開始。
1982年(昭和57年)3月 ダイヤ改正。7000系5編成を名鉄初の線内特急の専用車(通称白帯車)に改造・運用開始。以降、特急運用の専用車化を進め、1988年(昭和63年)に特急専用車1000系「パノラマSuper」を新造・登場させるきっかけとなる。
1983年(昭和58年)6月 特急列車に女性乗客掛(正式な乗務員としては戦後国内初)が乗務を開始。以降、順次増員を進めて早朝・深夜を除く全特急列車(指定席)に乗務となる。
1983年(昭和58年)11月 特急座席管理システム完成、座席指定券のオンライン発売を開始。
1984年(昭和59年)1月 東名古屋港駅を除き貨物取り扱いを廃止。定期貨物列車全廃。
1985年(昭和60年)3月 ダイヤ改正。前年に八百津線へ導入した軽量気動車「LEカー」を、広見線(新可児〜御嵩間)・三河線(猿投〜西中金間)にも導入・本格運用を開始し、ワンマン運転を実施。
1987年(昭和62年)3月 新名古屋駅(現、名鉄名古屋)全面改装工事完成。これにより、普通乗車券を含めた自動改札機の本格使用を開始(以降、主要駅の自動改札化を進める)。
1988年(昭和63年)5月 全日空・名鉄グループ各社の共同出資で中日本エアラインサービス(NAL)を設立。コミューター路線の開拓に着手。
1989年(平成元年)7月 金山総合駅完成。東西連絡線開業時からの金山橋駅を移転し、駅名も「金山」に改称。
1990年(平成2年)4月 名鉄初のプリペイドカード「パノラマカード」を発売開始、名古屋本線金山〜神宮前間の複々線化完成。
1990年(平成2年)6月 サンライズバス設立。同年10月に名鉄バス蒲郡営業所(名古屋鉄道蒲郡自動車営業所)を移管し、採算(存続)の難しいバス路線を分社化する嚆矢となる。
1990年(平成2年)8月 特急専用車(1000系)増備により、名古屋本線特急の120km/h運転を開始。
1990年(平成2年)10月 ダイヤ改正。本線特急を指定席車と自由席車併結(一部指定席化)とし、自由席特急の性格を持っていた「高速」を統合。また、瀬戸線以外の準急を急行へ統合し、停車駅の見直し(特別停車駅による停車駅調整)を行う。またこの改正より民鉄で初めて前照灯の昼間点灯を開始。



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 歴史
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名鉄観光

名鉄観光プロジェクトもだいぶ進んできましたね!!
名鉄で旅行・名鉄観光楽しみですね!!
では、
名鉄旅行・名鉄観光の第6弾スタート

1945年(昭和20年)12月 GHQ(駐留軍)の指導により、名古屋鉄道労働組合(名鉄労組)を結成。
1947年(昭和22年)6月 名鉄自動車を合併し、バス事業を全て名鉄直営とする。
1948年(昭和23年)5月 西部線の主要路線を東部線と同じ1500Vへ昇圧し、東西路線の直通運転を開始。
この日より、新岐阜(現名鉄岐阜)駅〜豊橋駅間を「名古屋本線」と名称変更(全線に亘って路線名を見直し・変更)。
1950年(昭和25年)4月 飯田線への直通運転を不定期列車で再開(1954年小坂井支線と共に廃止)。
1952年(昭和27年)4月 創業記念日を(旧)名古屋鉄道の設立日である6月13日に制定。
1954年(昭和29年)10月 旧渥美電鉄系の渥美線を、豊橋鉄道へ譲渡。
1957年(昭和32年)7月 名鉄ビル全館完成。本社事務所をビル内に移転、業務開始。
1958年(昭和33年)3月 庄内川橋梁を新橋梁へ切り替え。これにより名古屋本線の最急曲線を緩和し、枇杷島分岐点の通過速度を20km/hから40km/h(後に50km/h)へ引き上げ。
1959年(昭和34年)4月 ダイヤ改正。5500系電車が登場し、量産車としては日本国内初となる料金不要冷房車の運行を開始。また、知立駅新設(移転)・配線変更により、名古屋方面から三河線への直通列車を増発。
1961年(昭和36年)6月 初代パノラマカーと呼ばれる7000系電車、名古屋本線の特急に就役。これにより、最高運転速度を110km/hに引き上げ認可・運行開始。
1962年(昭和37年)3月 ラインパーク(現、モンキーパーク)モノレール線、日本国内初の跨座式モノレールとして開通。
1965年(昭和40年)8月 戦前に行われていたが中断していた国鉄高山本線との直通運転を、神宮前駅〜高山駅間に準急「たかやま」を新設したことで再開する。
1965年(昭和40年)11月 須ヶ口駅〜鳴海駅間にM式ATS(速度照査式ATS)を設置。1968年(昭和43年)7月までに全線(岐阜軌道線区間を除く)の設置を完了。
1967年(昭和42年)6月 名鉄バスセンター開業、本社事務所を同バスターミナルビル内に移転。
日本国内初のビル(立体)型バスターミナルであり、当時としては東洋一の規模を誇った。
1970年(昭和45年)6月 田神線が開通、600系を使用して新岐阜駅〜美濃駅間の直通運転を開始。世界的にも稀有な軌道車両による鉄道線乗入れが始まる。
1971年(昭和46年)3月 日本民営鉄道協会(民鉄協)を脱退(1982年8月に民鉄協へ復帰)。
1971年(昭和46年)9月 名鉄と住友商事との共同出資で「名鉄住商車両工業」(後に名鉄住商工業へ改称)設立。日本国内で初めて車両保守部門を分社化し全面委託を行う。
1973年(昭和48年)8月 岐阜市内線でワンマン運転を開始。



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 旅行
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名鉄観光

名鉄観光プロジェクト進行中!!
みなさん名鉄で観光したいか〜〜〜
名鉄で旅行にいきたいか〜
という事で
名鉄観光・名鉄旅行の第五弾スタート

1935年(昭和10年)8月 名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併、(新)名古屋鉄道が発足した(形式上は「名岐鉄道」が存続会社となって同時に(新)「名古屋鉄道」と改称し、「愛知電気鉄道」は解散した)。
この日より、旧「名岐鉄道」の各線を「西部線」、旧「愛知電気鉄道」の各線を「東部線」と総称した。
1938年(昭和13年)5月 現在の中央道特急バスの前身となる、名古屋〜飯田間の急行バスを飯田街道(国道153号線)経由で運転開始(1941年8月休止、1952年7月再開)。
1939年(昭和14年)9月 1902年(明治35年)3月に創立され、現在の瀬戸線を当時運営していた瀬戸電気鉄道を名鉄が合併。
1940年(昭和15年)9月 1922年(大正11年)3月に創立され、現在の豊橋鉄道渥美線を当時運営していた渥美電鉄を名鉄が合併。
1941年(昭和16年)6月 1912年(明治45年)に創立され、現在の三河線、蒲郡線を運営していた三河鉄道を名鉄が合併。
1941年(昭和16年)8月 東枇杷島駅(移設)〜新名古屋(現、名鉄名古屋)駅間を開業。「郡部線」当時からのターミナルであった押切町駅〜東枇杷島駅間と柳橋駅までの市電乗り入れを廃止し、国鉄(現JR)名古屋駅前に地下線(駅)で乗り入れる。
1943年(昭和18年)2月 1927年(昭和2年)に創立され、現在の河和線を運営していた知多鉄道を名鉄が合併。
1943年(昭和18年)3月 1926年(大正15年)に創立され、現在の広見線の一部区間を当時運営していた東美鉄道と、1919年(大正8年)に創立され、現在の竹鼻線を当時運営していた竹鼻鉄道を名鉄が合併。
1943年(昭和18年)8月 子会社の名鉄自動車へ名鉄直営のバス事業を譲渡・統合。同時に愛知県内の尾三自動車ほか4社も名鉄自動車が合併。
1944年(昭和19年)3月 1925年(大正14年)5月に創立され、現在の西尾線の一部を運営していた碧海電気鉄道と、1924年(大正13年)1月創立で、現在廃止された谷汲線を当時運営していた谷汲鉄道、並びに元来共に現在のJR東海飯田線の一部を運営していたが、既に鉄道路線が国家買収されていた豊川鉄道(1896年(明治29年)2月設立)と鳳来寺鉄道(1921年(大正10年)9月設立)を名鉄が合併(ただし、豊川鉄道・鳳来寺鉄道は証券類等事務上の処理のみ)。
1944年(昭和19年)9月 旧名岐鉄道系の路線(西部線)と旧愛知電気鉄道系の路線(東部線)が、金山駅(翌1945年に金山橋駅に改称。現、金山駅)で繋がる。



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 歴史
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2007年07月17日

名鉄電車

名鉄で観光したくなってきました!!

今回で第4回の名鉄の歴史です!!
名鉄電車についてです!!
1893年(明治26年)6月 名古屋駅前〜県庁前・名古屋駅前〜枇杷島間に馬車鉄道敷設特許を申請(1894年3月特許)。
1894年(明治27年)6月 愛知馬車銕道設立。
1896年(明治29年)6月 愛知馬車銕道、動力を馬から電気に改めて社名を名古屋電気鉄道に改称。
1898年(明治31年)5月 笹島〜県庁前(現在の名古屋市中区栄付近)間を開業。京都に次ぐ、日本で2番目の電車営業を開始した。
1901年(明治34年)2月 路線拡張に乗務員の増員が間に合わず、初の労働争議が発生。乗務員が2日間ストライキを行う。
1906年(明治39年)12月 尾張電車鉄道・一宮電気鉄道が名古屋電気鉄道への吸収合併に合意し、競願していた押切〜岩倉〜一宮間・押切〜津島間・岩倉〜犬山間の軌道敷設特許を取得。名古屋市郊外へ進出する足掛かりを掴む。
1912年(明治45年)3月 アメリカのインターアーバン視察を元に、初の郊外線となる押切駅(当時の名古屋側ターミナル駅、後の押切町駅)〜枇杷島駅(後の枇杷島橋駅、現・枇杷島分岐点)間開業。
以後、現在の名古屋以西の路線にあたる、犬山線・一宮線・津島線などを順次開業。当時これらの郊外路線を、名古屋市外への路線という意味から「郡部線」と総称した。
1913年(大正2年)11月 郡部線の始発駅として柳橋駅開業。郡部線車両の市内線(押切町〜柳橋間)乗入れ開始。
1915年(大正4年)10月 皇太子(当時、後の昭和天皇)市内線(白鳥〜築港間)にご乗車。
1919年(大正8年)4月 熱田電気軌道を合併。
1921年(大正10年)6月 市内線(路面軌道)部門を全て名古屋市へ譲渡するための準備として、「郡部線」部門の経営母体となる(旧)名古屋鉄道を名古屋電気鉄道の全額出資会社として設立。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 電車
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名鉄観光

名鉄の歴史もだいぶ学んできましたね!!
そろそろに行きたくなってきませんか??
では、歴史の第3段です

合併後の名鉄は最初の課題として、旧名岐鉄道路線(西部線)と旧愛知電気鉄道路線(東部線)の連絡線建設を進め、国鉄(当時)名古屋駅の移転跡地を譲受し、そこに新ターミナルとして地下駅の「新名古屋駅」(現、名鉄名古屋)を建設・開業し、新生名鉄(東西連絡)のシンボルとした。

新駅には手狭になった西部線のターミナル押切町を置き換える目的もあったため、まず西部線から建設を進め、次第に物資統制が厳しくなる中にあって1941年(昭和16年)に完成・開業させ、その後、東部線のターミナル神宮前までの路線建設に着手し、1944年(昭和19年)に連絡線が開通した。その間、太平洋戦争の開戦など情勢は日増しに悪化する中、戦時緊急整備路線の指定を受けて鉄道省(当時)の全面的な協力を得たものの、それでさえ建設資材の調達には困難を極め、不用不急路線・設備の転用を図り、更には新名古屋〜山王間の高架橋部分を一部木材で代用するなど、急場しのぎの工事であった。また、線路は一応繋がったものの、当初同時期に予定された西部線の昇圧工事はこの情勢では見送らざるを得ず、金山を境にして以西は架線電圧が600Vに据え置かれ、結局、架線電圧が1500Vの東部線とは直通運転が出来ないままに終戦を迎えた。

終戦直後は、名鉄も他の各私鉄・国鉄(当時)と同様に車両や設備の疲労・消耗が激しく、定時運行も侭ならない、更には満足な資材とて揃わない中ではあったが、いち早く西部線の主要各線を東部線と同じ1500Vへ昇圧する工事に着手し、東西路線の一体化を戦後復興の第一目標に据えて取り組んだ。この結果、戦災の傷が未だ癒えない1948年(昭和23年)には第一次の昇圧工事が完成し、新岐阜(現、名鉄岐阜)・新鵜沼・津島〜新名古屋(現、名鉄名古屋)〜神宮前〜豊橋・常滑間などが一体的に運営(直通運転)されるようになり、現在の運行形態の基礎が出来上がった。

なお、合併前の1929年(昭和4年)にも名古屋地下鉄道として直通路線の構想は存在したが、着工までに至らなかった。



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 観光
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2007年07月15日

名鉄を理解して観光

名鉄を理解して観光の第2弾です!!

現在の名鉄は、1935年(昭和10年)に、(旧)「名古屋鉄道」が1930年(昭和5年)9月に改称した「名岐鉄道」(名岐)と「愛知電気鉄道」(愛電)が合併して誕生したものである。

大正中期から昭和初期の愛電は、福沢諭吉の甥(後に養子)である福沢桃介が経営に携わり、自らの構想である「東海道電気鉄道」(日本電気鉄道の計画を引き継ぎ、東京〜名古屋間の鉄道敷設を目論んで、豊橋市まで免許を収得)の実現に向けて、当時としては画期的な高速鉄道を目指して神宮前〜豊橋間の路線を高規格で建設していた。このため設備投資が嵩んで相当な負債を抱えており、あまつさえ、当時の日本はアメリカに端を発した世界恐慌による強烈な不況風が全国に吹き荒れていたこともあって、愛電は深刻な経営難に陥っていた。

その後、福沢は経営責任を取る形で愛電から手を引いたものの、福沢の理想主義的で強引な経営手法を間近に見て学んだ藍川清成らが経営を引き継ぎ、結局、会社の体質そのものは変わらなかった。一方、合併前の名岐は多額の内部留保を蓄えて名古屋式経営のお手本とも言うべき無借金経営を行っており、資本金の規模こそほぼ同等ではあったが、その財務内容には雲泥の差が付いていた。

折りしも1930年代の日本は、世界恐慌を境として大陸(現在の中国など)への進出・利権を廻り、欧米列強との対決(戦時)色が強くなり始めた頃であり、民間企業の間にも次第に競争から合同(民族団結)への機運が高まってきた。その時点では、戦時立法である「国家総動員法」や「陸上交通事業調整法」の成立前であったが、長引く昭和恐慌の影響もあって、当地の交通事業を再編(統合)すべく名古屋財界の有力者を中心に民間主導の型で検討・折衝が進められることとなった。

当初名岐側は、事実上「愛電の救済合併」との意味合いが強く、相当に不利となるこの合併を渋っていたものの、当時の名古屋市長が仲立ちしたこともあって結局この話を断れず、更には愛電側の顔を立てるため、表面上は対等合併(合併比率は名岐1:愛電0.8)の形を取って行われた。

このため、新生「名古屋鉄道」初代社長には名岐社長である跡田直一の就任が内定していたが、合併日(8月1日)を目前にして病死(7月17日)した事から、急遽、愛電社長の藍川(同副社長に内定)が繰上がる形でその座に就く事となり、旧名岐の社員からは、病床にあった跡田の死を見越した「藍川の会社乗っ取り」との声も聞かれた。

「陸上交通事業調整法」が施行された後も、愛知・岐阜の交通各社は法律(強制統合)の直接的な対象とはならず、名鉄を中心とした統合は「戦時」と言う時勢の後押し(法律の趣旨に沿うための半強制的な風潮)はあったものの、形式上は各社の自主的な判断で行われた。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93

タグ:名鉄 観光 計画
posted by 横綱 at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記