2007年07月20日

名鉄電車

名鉄観光プロジェクト
ただいま名鉄電車編です!!
名鉄観光・名鉄旅行の計画
名鉄電車 第2回


[編集] 特徴
この車両の特徴は、運転室を前面上部に上げ、通常の鉄道車両で乗務員室が位置する部分に低床の展望室を配置したことである。万一の衝突から展望室の乗客を守るため、強力な油圧式ダンパを標識灯横に設置している。1961年(昭和36年)に7004号が木曽川堤駅隣の踏切でダンプカーを跳ね飛ばしたということから、これをもって「ダンプキラー」と呼ぶ鉄道ファンも居る。なお、製造にあたって運転室への出入りは車内からではなく、旅客ドアと展望窓の間に設置されたハシゴを登って出入りできるようになっている。

この構造は、名鉄幹部がイタリアへ行った際、当時の特急「セッテベロ」号に強い印象を受けたのが始まりといわれる。この車両の図面は1954年(昭和29年)頃からあった。しかし、固定ガラス張りとなる展望室内には温度調節を行うシステム(冷暖房)が不可欠だが、当時はこれを搭載できる見通しが立たなかった。その後、5500系製造時に他の機器を可能な限り小型としてスペースを生み出し、車両冷房を実現した。これによって展望室付きの車両も製造可能となった。なお、展望室部分だけは屋上に冷房装置を搭載できないため、室内最前席の前に床置式冷房装置を設置した。

展望室構造のため、先頭車の車体長は中間車よりも1m長い19mとし、車体断面は国鉄151系電車のように窓部を内傾させ窓下の裾を絞った形状とした。但し車体幅(外板間)は2,730mmで裾の絞りは緩く、屋根高さは5500系と同じ3,500mmであり、以後の名鉄車両ではこの車体断面形状が多少の寸法変更を伴いながらも3500系まで適用されている。先述のように、展望室部分は床面高さが他の1,150mmに対して1,040mmの低床構造となっている。また、高所にある運転台とは別個に、車掌台・車掌扉を先頭車の後位車端に設けた。ここには補助席が設置されており、車掌台として使用しない時は着席することができる。

この前面展望式の構造は、後の小田急電鉄ロマンスカー3100形「NSE」をはじめ、国鉄時代の165系改造車「パノラマエクスプレスアルプス」(2003年より富士急行2000形「フジサン特急」)などにも受け継がれた。同車は大好評を博し、最高速度110km/hで三河・濃尾平野を快走する姿は全国の鉄道ファンを魅了したものである。また、当時の資料によれば、設計最高速度は140km/h、モーターの許容回転数では150km/hに達し、これは7500系を除いた5000系から7700系、さらに8800系(登場時)、5300系までの全電動車系列に共通である。

制御方式は直巻整流子電動機を用いた「抵抗制御方式」で、出力75kW(340V・246A・2,000rpm)のモーターを4基ずつ搭載する全車電動車方式である。弱め界磁率は30%まで可能だったが、5000系・5200系(50%)との兼ね合いから40%で使用してきた(40%界磁でも定格速度は110km/h)。減速比は4.875である。
5000系・5200系と併結運転が可能であるが、主制御器は5500系と同じ東芝MC11型「パッケージ制御器」で、マスコンは直列指定段と並列指定段を持つものである。主制御器が強制通風式の主抵抗器と一体でしかもコンパクトな構造のため、5000系・5200系と異なり直並列自動切替機能は無く、直列指定段で起動して高速運転に持って行く際は、一旦オフ位置に戻して並列指定段回路に入れ直し、その後弱め界磁制御を行う。直列指定段で起動した場合も直列の最終段から弱め界磁制御を行うことができ、電力事情の悪かった支線や、豊橋駅付近の飯田線との共用区間でも変電所への負荷を抑え、また電動機の高速特性からHL車以上の高速運転を行うことができた。なお、並列段全界磁でもAL車並みの高速性を備えている。現在は、電圧降下が著しい場合や低速運転時を除き、最初から並列(および並列弱め界磁)指定段に投入して起動することになっている。ちなみにこの制御器の方式は小田急3000形(初代)・3100形の東芝MCM型と同様である。制御段数は力行が弱め界磁起動+抵抗制御16段(3次車以降13段)・弱め界磁4段、発電ブレーキが弱め界磁+20段(3次車以降17段)となっている。

登場の翌1962年には2次車(7007編成〜)が加わって計7編成となり、本線急行の他、犬山線にも進出している。1963年(昭和38年)からは、名古屋本線用には改良版の7500系を製造し、順次6〜8両編成として投入されたが、支線でも広がるパノラマカー人気に対応するため、1967年(昭和42年)に4両編成が登場した(3次車:7015編成〜、冷房装置などを変更)。1968年(昭和43年)には一部の車両が8両固定編成を組んでいたが、短期間で解消し、以後は従前車も4両編成に組成変更して増備されていった。そのため、1969年(昭和44年)製の5次車(7029・7031編成)は4両フル編成だが、その前後の4次車と6次車は先頭車のみの製造である。1971年(昭和46年)登場の7次車(7039編成〜)も4両編成で、冷房装置が再度変更されている。1973年(昭和48年)から4両編成の大部分を連結化改造し、本形式の4+4=8両編成はもとより他形式との連結運転も可能になり、同年暮の第1次オイルショックに伴う輸送需要増にも対応することができた。1974年(昭和49年)増備の8次車2本(7045・7047編成)は久々の6両編成となり、先頭車の最終タイプを含む。非連結化4両編成も1975年(昭和50年)に最終増備車の両開き扉中間車(9次車、モ7050形7100番台)を組み込み、6両編成となっている。結果的に7000系として製造されたのは116両である。

全車が健在の時期には6両編成10本(60両)と4両編成14本(56両)という陣容であった。

1982年(昭和57年)4両編成の一部が白帯を巻いて特急専用車化(同時に行先表示板を逆さ富士形から楯形に変更)され、翌1983年(昭和58年)から1987年(昭和62年)まで1〜3次車のうち42両について特別整備が行われたが、延べ15本(4両に短縮した編成あり)に施工された特急専用車装備に関しては現在解除されている。特別整備未施工の車両は1984年(昭和59年)から廃車が発生し、2007年(平成19年)現在、最盛期の約3分の2にまで減少した。現存する7000系のほとんどは、製造年次の異なる車両や7700系の中間車が混在した編成となっている他、6両編成の前頭表示が電照幕式に統一された。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄電車

タグ:電車 名鉄
posted by 横綱 at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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