2007年07月18日

名鉄観光

名鉄観光プロジェクトもだいぶ進んできましたね!!
名鉄で旅行・名鉄観光楽しみですね!!
では、
名鉄旅行・名鉄観光の第6弾スタート

1945年(昭和20年)12月 GHQ(駐留軍)の指導により、名古屋鉄道労働組合(名鉄労組)を結成。
1947年(昭和22年)6月 名鉄自動車を合併し、バス事業を全て名鉄直営とする。
1948年(昭和23年)5月 西部線の主要路線を東部線と同じ1500Vへ昇圧し、東西路線の直通運転を開始。
この日より、新岐阜(現名鉄岐阜)駅〜豊橋駅間を「名古屋本線」と名称変更(全線に亘って路線名を見直し・変更)。
1950年(昭和25年)4月 飯田線への直通運転を不定期列車で再開(1954年小坂井支線と共に廃止)。
1952年(昭和27年)4月 創業記念日を(旧)名古屋鉄道の設立日である6月13日に制定。
1954年(昭和29年)10月 旧渥美電鉄系の渥美線を、豊橋鉄道へ譲渡。
1957年(昭和32年)7月 名鉄ビル全館完成。本社事務所をビル内に移転、業務開始。
1958年(昭和33年)3月 庄内川橋梁を新橋梁へ切り替え。これにより名古屋本線の最急曲線を緩和し、枇杷島分岐点の通過速度を20km/hから40km/h(後に50km/h)へ引き上げ。
1959年(昭和34年)4月 ダイヤ改正。5500系電車が登場し、量産車としては日本国内初となる料金不要冷房車の運行を開始。また、知立駅新設(移転)・配線変更により、名古屋方面から三河線への直通列車を増発。
1961年(昭和36年)6月 初代パノラマカーと呼ばれる7000系電車、名古屋本線の特急に就役。これにより、最高運転速度を110km/hに引き上げ認可・運行開始。
1962年(昭和37年)3月 ラインパーク(現、モンキーパーク)モノレール線、日本国内初の跨座式モノレールとして開通。
1965年(昭和40年)8月 戦前に行われていたが中断していた国鉄高山本線との直通運転を、神宮前駅〜高山駅間に準急「たかやま」を新設したことで再開する。
1965年(昭和40年)11月 須ヶ口駅〜鳴海駅間にM式ATS(速度照査式ATS)を設置。1968年(昭和43年)7月までに全線(岐阜軌道線区間を除く)の設置を完了。
1967年(昭和42年)6月 名鉄バスセンター開業、本社事務所を同バスターミナルビル内に移転。
日本国内初のビル(立体)型バスターミナルであり、当時としては東洋一の規模を誇った。
1970年(昭和45年)6月 田神線が開通、600系を使用して新岐阜駅〜美濃駅間の直通運転を開始。世界的にも稀有な軌道車両による鉄道線乗入れが始まる。
1971年(昭和46年)3月 日本民営鉄道協会(民鉄協)を脱退(1982年8月に民鉄協へ復帰)。
1971年(昭和46年)9月 名鉄と住友商事との共同出資で「名鉄住商車両工業」(後に名鉄住商工業へ改称)設立。日本国内で初めて車両保守部門を分社化し全面委託を行う。
1973年(昭和48年)8月 岐阜市内線でワンマン運転を開始。



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 旅行
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名鉄観光

名鉄観光プロジェクト進行中!!
みなさん名鉄で観光したいか〜〜〜
名鉄で旅行にいきたいか〜
という事で
名鉄観光・名鉄旅行の第五弾スタート

1935年(昭和10年)8月 名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併、(新)名古屋鉄道が発足した(形式上は「名岐鉄道」が存続会社となって同時に(新)「名古屋鉄道」と改称し、「愛知電気鉄道」は解散した)。
この日より、旧「名岐鉄道」の各線を「西部線」、旧「愛知電気鉄道」の各線を「東部線」と総称した。
1938年(昭和13年)5月 現在の中央道特急バスの前身となる、名古屋〜飯田間の急行バスを飯田街道(国道153号線)経由で運転開始(1941年8月休止、1952年7月再開)。
1939年(昭和14年)9月 1902年(明治35年)3月に創立され、現在の瀬戸線を当時運営していた瀬戸電気鉄道を名鉄が合併。
1940年(昭和15年)9月 1922年(大正11年)3月に創立され、現在の豊橋鉄道渥美線を当時運営していた渥美電鉄を名鉄が合併。
1941年(昭和16年)6月 1912年(明治45年)に創立され、現在の三河線、蒲郡線を運営していた三河鉄道を名鉄が合併。
1941年(昭和16年)8月 東枇杷島駅(移設)〜新名古屋(現、名鉄名古屋)駅間を開業。「郡部線」当時からのターミナルであった押切町駅〜東枇杷島駅間と柳橋駅までの市電乗り入れを廃止し、国鉄(現JR)名古屋駅前に地下線(駅)で乗り入れる。
1943年(昭和18年)2月 1927年(昭和2年)に創立され、現在の河和線を運営していた知多鉄道を名鉄が合併。
1943年(昭和18年)3月 1926年(大正15年)に創立され、現在の広見線の一部区間を当時運営していた東美鉄道と、1919年(大正8年)に創立され、現在の竹鼻線を当時運営していた竹鼻鉄道を名鉄が合併。
1943年(昭和18年)8月 子会社の名鉄自動車へ名鉄直営のバス事業を譲渡・統合。同時に愛知県内の尾三自動車ほか4社も名鉄自動車が合併。
1944年(昭和19年)3月 1925年(大正14年)5月に創立され、現在の西尾線の一部を運営していた碧海電気鉄道と、1924年(大正13年)1月創立で、現在廃止された谷汲線を当時運営していた谷汲鉄道、並びに元来共に現在のJR東海飯田線の一部を運営していたが、既に鉄道路線が国家買収されていた豊川鉄道(1896年(明治29年)2月設立)と鳳来寺鉄道(1921年(大正10年)9月設立)を名鉄が合併(ただし、豊川鉄道・鳳来寺鉄道は証券類等事務上の処理のみ)。
1944年(昭和19年)9月 旧名岐鉄道系の路線(西部線)と旧愛知電気鉄道系の路線(東部線)が、金山駅(翌1945年に金山橋駅に改称。現、金山駅)で繋がる。



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 歴史
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2007年07月17日

名鉄電車

名鉄で観光したくなってきました!!

今回で第4回の名鉄の歴史です!!
名鉄電車についてです!!
1893年(明治26年)6月 名古屋駅前〜県庁前・名古屋駅前〜枇杷島間に馬車鉄道敷設特許を申請(1894年3月特許)。
1894年(明治27年)6月 愛知馬車銕道設立。
1896年(明治29年)6月 愛知馬車銕道、動力を馬から電気に改めて社名を名古屋電気鉄道に改称。
1898年(明治31年)5月 笹島〜県庁前(現在の名古屋市中区栄付近)間を開業。京都に次ぐ、日本で2番目の電車営業を開始した。
1901年(明治34年)2月 路線拡張に乗務員の増員が間に合わず、初の労働争議が発生。乗務員が2日間ストライキを行う。
1906年(明治39年)12月 尾張電車鉄道・一宮電気鉄道が名古屋電気鉄道への吸収合併に合意し、競願していた押切〜岩倉〜一宮間・押切〜津島間・岩倉〜犬山間の軌道敷設特許を取得。名古屋市郊外へ進出する足掛かりを掴む。
1912年(明治45年)3月 アメリカのインターアーバン視察を元に、初の郊外線となる押切駅(当時の名古屋側ターミナル駅、後の押切町駅)〜枇杷島駅(後の枇杷島橋駅、現・枇杷島分岐点)間開業。
以後、現在の名古屋以西の路線にあたる、犬山線・一宮線・津島線などを順次開業。当時これらの郊外路線を、名古屋市外への路線という意味から「郡部線」と総称した。
1913年(大正2年)11月 郡部線の始発駅として柳橋駅開業。郡部線車両の市内線(押切町〜柳橋間)乗入れ開始。
1915年(大正4年)10月 皇太子(当時、後の昭和天皇)市内線(白鳥〜築港間)にご乗車。
1919年(大正8年)4月 熱田電気軌道を合併。
1921年(大正10年)6月 市内線(路面軌道)部門を全て名古屋市へ譲渡するための準備として、「郡部線」部門の経営母体となる(旧)名古屋鉄道を名古屋電気鉄道の全額出資会社として設立。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 電車
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名鉄観光

名鉄の歴史もだいぶ学んできましたね!!
そろそろに行きたくなってきませんか??
では、歴史の第3段です

合併後の名鉄は最初の課題として、旧名岐鉄道路線(西部線)と旧愛知電気鉄道路線(東部線)の連絡線建設を進め、国鉄(当時)名古屋駅の移転跡地を譲受し、そこに新ターミナルとして地下駅の「新名古屋駅」(現、名鉄名古屋)を建設・開業し、新生名鉄(東西連絡)のシンボルとした。

新駅には手狭になった西部線のターミナル押切町を置き換える目的もあったため、まず西部線から建設を進め、次第に物資統制が厳しくなる中にあって1941年(昭和16年)に完成・開業させ、その後、東部線のターミナル神宮前までの路線建設に着手し、1944年(昭和19年)に連絡線が開通した。その間、太平洋戦争の開戦など情勢は日増しに悪化する中、戦時緊急整備路線の指定を受けて鉄道省(当時)の全面的な協力を得たものの、それでさえ建設資材の調達には困難を極め、不用不急路線・設備の転用を図り、更には新名古屋〜山王間の高架橋部分を一部木材で代用するなど、急場しのぎの工事であった。また、線路は一応繋がったものの、当初同時期に予定された西部線の昇圧工事はこの情勢では見送らざるを得ず、金山を境にして以西は架線電圧が600Vに据え置かれ、結局、架線電圧が1500Vの東部線とは直通運転が出来ないままに終戦を迎えた。

終戦直後は、名鉄も他の各私鉄・国鉄(当時)と同様に車両や設備の疲労・消耗が激しく、定時運行も侭ならない、更には満足な資材とて揃わない中ではあったが、いち早く西部線の主要各線を東部線と同じ1500Vへ昇圧する工事に着手し、東西路線の一体化を戦後復興の第一目標に据えて取り組んだ。この結果、戦災の傷が未だ癒えない1948年(昭和23年)には第一次の昇圧工事が完成し、新岐阜(現、名鉄岐阜)・新鵜沼・津島〜新名古屋(現、名鉄名古屋)〜神宮前〜豊橋・常滑間などが一体的に運営(直通運転)されるようになり、現在の運行形態の基礎が出来上がった。

なお、合併前の1929年(昭和4年)にも名古屋地下鉄道として直通路線の構想は存在したが、着工までに至らなかった。



wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93
タグ:名鉄 観光
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2007年07月15日

名鉄を理解して観光

名鉄を理解して観光の第2弾です!!

現在の名鉄は、1935年(昭和10年)に、(旧)「名古屋鉄道」が1930年(昭和5年)9月に改称した「名岐鉄道」(名岐)と「愛知電気鉄道」(愛電)が合併して誕生したものである。

大正中期から昭和初期の愛電は、福沢諭吉の甥(後に養子)である福沢桃介が経営に携わり、自らの構想である「東海道電気鉄道」(日本電気鉄道の計画を引き継ぎ、東京〜名古屋間の鉄道敷設を目論んで、豊橋市まで免許を収得)の実現に向けて、当時としては画期的な高速鉄道を目指して神宮前〜豊橋間の路線を高規格で建設していた。このため設備投資が嵩んで相当な負債を抱えており、あまつさえ、当時の日本はアメリカに端を発した世界恐慌による強烈な不況風が全国に吹き荒れていたこともあって、愛電は深刻な経営難に陥っていた。

その後、福沢は経営責任を取る形で愛電から手を引いたものの、福沢の理想主義的で強引な経営手法を間近に見て学んだ藍川清成らが経営を引き継ぎ、結局、会社の体質そのものは変わらなかった。一方、合併前の名岐は多額の内部留保を蓄えて名古屋式経営のお手本とも言うべき無借金経営を行っており、資本金の規模こそほぼ同等ではあったが、その財務内容には雲泥の差が付いていた。

折りしも1930年代の日本は、世界恐慌を境として大陸(現在の中国など)への進出・利権を廻り、欧米列強との対決(戦時)色が強くなり始めた頃であり、民間企業の間にも次第に競争から合同(民族団結)への機運が高まってきた。その時点では、戦時立法である「国家総動員法」や「陸上交通事業調整法」の成立前であったが、長引く昭和恐慌の影響もあって、当地の交通事業を再編(統合)すべく名古屋財界の有力者を中心に民間主導の型で検討・折衝が進められることとなった。

当初名岐側は、事実上「愛電の救済合併」との意味合いが強く、相当に不利となるこの合併を渋っていたものの、当時の名古屋市長が仲立ちしたこともあって結局この話を断れず、更には愛電側の顔を立てるため、表面上は対等合併(合併比率は名岐1:愛電0.8)の形を取って行われた。

このため、新生「名古屋鉄道」初代社長には名岐社長である跡田直一の就任が内定していたが、合併日(8月1日)を目前にして病死(7月17日)した事から、急遽、愛電社長の藍川(同副社長に内定)が繰上がる形でその座に就く事となり、旧名岐の社員からは、病床にあった跡田の死を見越した「藍川の会社乗っ取り」との声も聞かれた。

「陸上交通事業調整法」が施行された後も、愛知・岐阜の交通各社は法律(強制統合)の直接的な対象とはならず、名鉄を中心とした統合は「戦時」と言う時勢の後押し(法律の趣旨に沿うための半強制的な風潮)はあったものの、形式上は各社の自主的な判断で行われた。




wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93

タグ:名鉄 観光 計画
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2007年07月14日

名鉄旅行

名鉄で旅行するためにも名鉄を理解してから名鉄旅行を計画しよう!!
激安・格安なんて目じゃない!お金儲け海外旅行術!なんかに負けないように頑張ろう!!!

名鉄名古屋駅(めいてつなごやえき)は、愛知県名古屋市中村区名駅2丁目1番1号にある、名鉄名古屋本線の駅である。

1941年の開業当初からの地下駅であり、開業以来、名古屋に出来た新しい名古屋駅ということで、新名古屋駅という駅名であったが、2005年の中部国際空港開港を前にした同年1月29日、国内外からの乗客にわかりやすい駅名とする目的で現在の駅名に改称された。また、隣接する金山駅、神宮前駅と同様に案内板も日本語の他に英語・中国語・朝鮮語・ポルトガル語の5言語表記である。

行き先の表示・駅や車内での放送では単に名古屋(For Nagoya)と略表記される(新名古屋駅時代から「名古屋」という省略型行き先表示が存在した)。

本駅の所属は名古屋本線であるが、同線と並ぶ名鉄の基幹線区である犬山線・常滑線・空港線・河和線系統の大部分の列車も発着する。さらには両系統に接続する支線区への直通列車もあり、名古屋鉄道の拠点ともいえる駅である。

名古屋市最大のバスターミナル「名鉄バスセンター」が隣接されている。

wikipediaより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/名鉄


タグ:名鉄
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